11月7日におこなわれた劇団はぐるま座の『礒永秀雄の詩と童話』下関公演を総括する第5回実行委員会が21日、福田正義記念館で開かれた。「戦争の真実と平和の魂を現代の若者たちに」をテーマにした公演では、自治会、商店主、文化関係者、教師、PTA、労働者、親子連れなど子どもから90代の戦争体験者まで世代をこえて550人の市民が観劇した。実行委員会では、教育・文化関係者、被爆者、戦争遺族など市民各層の力を結集して、下関における平和の願いを束ねて今後につながる基盤を築いた喜びと確信を共有するとともに公演の感想交流、論議を通して下関を拠点にしたはぐるま座への期待と今後の運動の展望を語り合った。
かつてなく高まる文化的要求
初めに海原実行委員長が挨拶し「52名の実行委員を中心にして、教育や文化関係者をはじめ自治会でのチラシ回覧等、さまざまな市民の協力が広がり、公演は550人参観という以上の成果があった」と強調した。このたびの公演では、児童クラブ17校での紙芝居上演などを通じて、下関におけるはぐるま座への教育・文化関係者の期待が高まったことが大きな成果の一つだと語った。そして「今回は“劇団下関にあり!”というのを示すことができた。これで終わりではない。これを機に劇団が下関を拠点にさらに人民劇団として発信していってほしい。今日は劇団への要望や改善点もふくめて忌憚のない意見を出していただきたい」と呼びかけた。
つづいて劇団はぐるま座が、とりくみの報告を要旨次のようにおこなった。公演は四回の実行委員会を重ねながら「若い世代に戦争体験を語り継ぐ契機にしていこう」「美しい日本語や民族の豊かな情感を次世代に繋げよう」「下関全体の文化活動を活性化させるために貢献していこう」と毎回活発な論議が発展した。その思いが市内各所で共感を得ながら、各界の市民の運動として広がり、各分野で今後につながる確信を得ることができた。
6月に有志によって開かれた実行委員会準備会を受けて、7月25日の第1回実行委員会から本格的なとりくみが始まった。実行委員会では、「戦後70年経った日本で再び強まる戦争の足音に対して、日本中で戦争反対の世論が噴き上がっている。文化の力で戦争反対、真実を伝える力を強くしていこう」「言葉を失うのは文化を失うこと、それは亡国への道だ。音楽や文化を通じて美しい日本語を守ってほしい。感性豊かな子どもを育ててほしい」と語り合い、上演の意義が深まった。
児童クラブでの「鬼の子の角のお話」の紙芝居上演は小学校や幼稚園にも波及し、PTA、自治会関係者に歓迎された。「今後の学校行事として検討したい」との要望も出され、劇団が市民のなかに根を張って協力しあう関係が築かれてきた。また実行委員がポスター掲示や近所を一軒ずつ訪ねて宣伝を進める活動と、遺族会の合同慰霊祭でのチラシ配布、所属する文化団体での宣伝などが相互に響きあい、市民各界の熱のこもった運動として、かつてない規模で高まり広がった。そして、「下関の新たな運動の基礎を築くとりくみとなった」とのべた。さらに課題について、次のように報告した。
今回の舞台は、詩人・礒永秀雄の詩や童話の世界を通して、人間の優しさ、強さ、まっとうな生き方に世代をこえて共感が寄せられた。しかし、全体として演出・技法の問題とかかわって『修羅街挽歌』『とけた青鬼』などに見られたように、礒永秀雄の人柄や作品の内容、多くの人人の体験や思いを代表した作品世界、そこに流れる情感の質とは違いがあることなどの意見が寄せられている。舞台は今後解決すべき課題が大きいとして、次のようにのべた。
「市民の運動となっていった普及活動の発展を新たな出発点として恒常的に下関市民の生活とたたかいに学び連携を真に築く努力を重ね、舞台の向上の課題を解決することで、はじめて全国に発信していけるものになると思う。それこそが“人民に奉仕し人民とともに”という劇団創立精神を、劇団の自己改造によって実践に貫く道であり、平和で豊かな日本社会の建設に役立つ人民劇団の責務だと思う」。
教育現場から強い期待
実行委員会の論議は、公演の感想や反響について率直な意見を出しあい、とりくみの教訓を交流しあった。はじめに3人の教師が発言した。
宇部市の小学校教師は「実行委員会ごとにとりくみが深まり、みなさんの努力が結実した。劇団はぐるま座が下関を拠点に発信する一歩を築いたと思う」とのべた。そして、日ごろ授業を聞くような子ではない小学生が、終始真剣に観劇していた様子を紹介、「不登校の子が、“私、元気が出た”といって学校に来るようになった。同僚の教師のあいだで“何があったのか?”と驚き話題になっている。礒永作品の力だと思う」と語った。また「鬼の子の角のお話」のペープサートの動物たちの動きについて、もう少し工夫してほしいと要望した。
北九州の小学校教師は、「実行委員会に参加するたびに、論議が深まり日本語の美しさについてもとても勉強になった。実行委員会を通じて学校現場で頑張る元気が出た」と語った。一緒に観劇した子どもの感想や学校で五、六年生に「鬼の子」の紙芝居を聞かせた経験から、「子どもたちは『鬼の子の角のお話』をとても明るいお話としてとらえている。ペープサートの舞台の照明が暗いのが少し気になった」と指摘し、今後礒永作品を平和教育の一つとして多くの教師とともにとりくみたいと語った。
下関の小学校教師は「劇団が直接学校に出向いて、児童クラブや授業、読み聞かせの母親とも交流し、紙芝居をするなど今までにない地に足のついたとりくみになった。その後も劇団に対して親しみを語りあうなど、子どもたちの心に残っているようだ。これからもぜひ学校に出向いてほしい」と期待した。
被爆者の女性は5人の友人を誘って参観したこと、公演後にポスターを貼ってもらった所にお礼に回ると、「今度は行きますよ」と声をかけられたことを紹介した。別の被爆者は「『修羅街挽歌』は私たち戦争体験者にはよくわかった。今回の公演ではぐるま座の存在も市民に広がったと思う」とのべ、各地の文化行事と重なったことが残念であり今後の教訓にすべきだと語った。
市民の会の婦人は、一緒に参観した人が「会場が一体になっていた。また戦争になろうとしているときに勇気づけられた」と感想を寄せ、はぐるま座の劇団員が直接地域に入っていく活動にも感動していたことを紹介した。「多くの人の意識が変わっている。学校で“いじめ”が問題になっているというが、たくさんの子どもや親に礒永さんの作品を見せてほしい」と期待をこめた。
その後、劇団の演技とかかわって率直な意見を交わした。長周新聞社の勤務員は、「実行委員会では、参観した人が見て“よかった”と感じることが今後の運動につなげるうえで大事だと論議になった」ことを踏まえて、『修羅街挽歌』については、「あれほど叫ばなくてもいいのでは?」「言葉だけでは伝わらない深い内容がある。兵士との会話の場面も、昔の思い出話ではなく今のことをいっている。演劇的な朗読ではなく、礒永さんの作品そのものが伝わるように表現してほしい」、『とけた青鬼』では「もっと礒永さんの童話の素晴らしさを素直に朗読してほしい」など、寄せられている意見や要望を紹介した。また別の反響として、老農夫による方言詩『野良の弁』について、「幕間のあれほど短い時間の朗読だったがとてもよかった。方言の温かさ、日本語の美しさを感じた」という参観者の意見が共通していたことも紹介した。
市民の会会員などからも、「『修羅街挽歌』では、一生懸命さは伝わるが内容が入ってこなかった。ささやくような表現も必要ではないだろうか」「伝わっただろうかと心配する声もあった。礒永さんの心をしっかり見た人に届けるための、事前の工夫も必要ではないか」と意見が出された。
文化運動の基盤広げる
大学関係者は、実行委員会で論議となった「日本語の美しさ」の問題についてふれ、「TPPでアメリカは関税引き下げを狙っているが彼らにとって最大の非関税障壁は日本語ではないか。そのために、小学校からの英語導入や大学では英語で講義などをやらせようとしている」と、現代の風潮を危惧(ぐ)する思いを語った。そのうえで「従来の日本人が持っていた気配りや思いやりの心が日本語という言語になった。欧米の個人主義はいきつくところまでいっている。日本語の普及は帝国主義的な意味ではなく、世界平和につながっていく」と日本語の持つ力を全国に発信する劇団はぐるま座に期待を寄せた。
遺族会の男性は、小学校3、4年生のころに父親がフィリピンのルソン島で戦死した経験や、自宅の前に機雷が墜ちたこと、桜山小学校が空襲で焼かれた記憶が蘇ったことを語った。
海原氏は、「戦争を知らない若い世代から年配者まで、礒永さんの心が伝わるように皆さんの意見を検証し、切磋琢磨してよりよい舞台にしてほしい。実行委員さんの期待のこもった意見を真正面から受けとめて今後につなげてほしい」とのべた。また、今後も市民各層が連携して教育や文化、市政などさまざまな問題について論議しあえる基盤ができたことへの喜びを語った。
最後に劇団員が、「下関の劇団として新たな出発ができたと思う。そのうえでみなさんの温かい指摘について受けとめ、舞台で返していくために努力していきたい。多くの人の役に立つ作品を残した礒永秀雄の生き方を、私たち自身が自分のものにする改造を通して応えていく。実行委員会が終わっても皆さんとの絆を強め、下関の教育や文化、市民の運動に役立てるよう精進していきたい」と決意をのべ、熱い拍手で今後の奮斗を確認しあった。