50代の女性は、「セリフではなく、演じている人たちの心、こみ上がる思いが伝わり、とても勇気づけられ影響を受けた」と語った。 また80代の婦人は、「今の日本を見るにつけ、日本も世界も沈没するのではないか、このままではどうなるかと思っていたが、劇を見て若い人が立ち上がっていけば絶対に変えていけると感激した。...
開演に先だち、実行委員長の永田良幸氏(原爆展を成功させる長崎の会会長)は、12歳の時に中心地から500㍍の場所で被爆し両親を含めて6人の家族を原爆で失った経験を語り、「あの恐ろしさは今も忘れていない。...
小郡は明治維新とのゆかりが深く、今も息づいている地域であるが、山口市と合併してから町の疲弊が顕著になるなかで、「町の活性化にむけて町民同士が団結していく出発点としていこう」と今回の公演がとりくまれ、熱い公演となった。小田氏は明治維新において決定的役割を果たした大田絵堂の戦いの勝因が、小郡宰判の支援なくしてはなし得なかったことについて触れ、小郡の住民やその指導的立場にあった林勇蔵の気概が、「“...
劇団はぐるま座の『動けば雷電の如く』の長崎公演のとりくみのなかで、意図的に隠されてきた明治維新における長崎の真実が浮き彫りになっている。それは長崎市民のなかで驚きと誇りを持って受け止められているが、下関でも新鮮な喜びの反響が起きている。本紙では、長崎公演にとりくんでいるはぐるま座団員と取材記者による座談会を持ち、明治維新や原爆と長崎の真実について語ってもらった。...
だが、みすゞの目はそこから一転、海のなかのいわしたちの葬式に光を当てている。 虐げられた者へ温い眼差し 現存する彼女の詩・512編をとおして読んで気づくことだが、こうした弱いもの、しいたげられたもの、貧しいものにたいする彼女のいたわり、あたたかい眼差しは終始一貫したものである。...
一、 現代はハラスメント社会である。ハリウッドでは、映画女優たちが大物映画プロデューサーから過去に受けたハラスメントについて次々と声をあげ、大騒動になっている。日本でも、人気の女性ブロガーが、電通在職時に著名なクリエイターから受けたハラスメントを告白して、話題になっている。女性政治家が秘書に暴言を吐いた録音が明るみに出て、ワイドショーで取り上げられるということもあった。...
また、市内の高校や大学では、「高杉晋作のことははじめて知ったが、これだけのことをした人がこんなに早く亡くなったのは悔しく感じた」「三菱の新規採用はわずか10人で、県内就職希望者も半数以上は県外へ出て行かざるを得ない状況になり、一方では自殺やいじめなど痛ましい事件も増えている。...
そこには家庭の問題などいろんな苦労をされたこともありましょうが、子どものような汚れのない美しい詩心で、素直なやさしい言葉でずっと書きつづけられたことは驚きです。 短歌を志してきたわたしなどは、自分が見たままをうたうことのむつかしさを痛感しています。「死んだおじいちゃんは星になったのよ」と聞かされた幼子が、夜空を見て「おじいちゃんの星は大きくなってお月様になった」といったりします。...
とくに、天領であった長崎から倒幕の戊辰戦争に参加した振遠隊の存在が広く明らかになるなかで、幕末期の長崎で町衆が果たした役割について市民が堰を切ったように語りはじめており、これまでの坂本龍馬や岩崎弥太郎、外国人などがメインにされてきた長崎の幕末史を覆して、明治維新の真の立役者となった長崎町衆の誇るべき歴史を生き生きと蘇らせていることを強調した。...
各学校の子どもたちから被爆者に送られてきた感想文には被爆体験を聞いた子どもたちの素朴で純粋な思いが綴られており、とくに集団的自衛権や憲法改定の問題に多くの子どもが触れ、深刻な体験をくぐってきた被爆者の側に立って現在の戦争の動きにはっきりと意志表示をしている。...
全国の国公私立大学の教授、名誉教授らが中心になって、「大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム」が発足した。呼びかけ人には、白川英樹(筑波大学名誉教授)、梶田隆章(東京大学宇宙線研究所所長)らノーベル賞受賞学者、日本学術会議元会長の広渡清吾(東京大学名誉教授・元副学長)、軍学共同反対連絡会・共同代表の池内了(名古屋大学名誉教授)ら51氏が名を連ねている。...
「いじめ」「体罰」が学校現場の抑圧物となってのしかかり、何か起きればその度に「被害者」を守るような顔をして警察やマスコミ、教育委員会といった権力が介入して大騒ぎをくり広げ、教育を破壊していく構造が出来上がっている。...
各場面ごとに拍手が起こり、舞台と客席がうちとけた雰囲気のなか奇兵隊士や農婦らが世録の武士を追い返す場面では笑いが、また米俵を積んで支援に駆けつける場面などではひときわ大きな拍手が起き、感嘆のどよめきに包まれた。100年に1度の不況といわれる時期を経営者としてどう立ち向かっていくか、新しい時代をつくっていった先人たちの歴史におおいに学び、力にしていきたい」と口口に語り、積極的に実行委員に加わった。...
同時に、殺伐とした社会に生きるいまの子どもたちが、みすゞの詩をよく読んで詩の心をしっかりと受けとめ、その感動をストレートに表現していることへの驚きが語られている。なぜかといえば、それは人人の心をとらえているみすゞの詩そのものから離れているからであり、作者自身がみすゞの詩への感動がなく、たんに自分個人の思いを表現しているだけだからである。...
他の都市に類を見ない抑圧、搾取、貧困、そして米軍が持ち込む退廃文化に対して、どのようなたたかいがやられてきたのか、今回は1950年代に教師たちが父母と団結して子どもたちとかかわり、妨害や圧力をはねのけて民族の子としてまっとうに育てていくためにたたかった経験をまとめた。...
同時にそれは矢崎氏1人の努力ではないし、山口県を中心とする多くの人人の努力のうえで実現したことも否定することはできない。100人ほどしか参加者がなく、かなりのものが寝ていたし、みすゞの詩から受ける印象とは異質なものを感じていた。このことが示すことは、みすゞの詩そのものには多くのものが感動しているが、矢崎氏のみすゞ評価には感動していない、それが大衆の評価、現実の効果であるということである。...
3地域はともに玄海原発から10㌔~30㌔圏内に位置し、東日本大震災と福島第1原発事故について「他人事ではない」と切実に語り合われ、玄海原発再稼動についてさまざまな動きがあるなかで、戦争体験や戦後の苦労を重ね、「独立日本をつくるために今こそ真実を語り根本変革するときだ」ととりくまれた。...
各地で「新しい時代を切り開いたのは百姓や町人ら無名の庶民だ」「あのときのように、世のため人のために元気を出して頑張ろう」と語りあわれる大きなうねりとなっており、舞台と同じように私利私欲なく大衆のために普及活動を続けるはぐるま座への支持と期待が大きくなっている。...
そのなかで「危険といって規制ばかり加えていたらひ弱な人間が育ち、将来社会に出てから困る」という意見が多く寄せられたのと同時に、もう一つの問題として以前と比べて子どもたちの体力の低下が著しいことを指摘する意見が多くあった。...
彼女が薄幸で倒れた1930年から長いあいだ、彼女の作品はおおやけになることができなかったが、最近になって人人に知られはじめるや、その詩への深い感動が広がっている。...
地域の老人クラブの人たちを連れてきた被爆婦人は、原爆と戦争展を通じて広島の会に入った人だが「自分の気持ちを口では上手く伝えられないが、劇を見ることでみんな同じ思いでつながった。...
弱いもの、小さいものへのあたたかいまなざしが偽善でなく伝わってくるし、ここにほかの文学作品にない強さがあります。 父親が小さいときに中国で殺され、自分は「もらい子では」と作品にも何度か登場するように、小さいころからのさみしさが作品全体のなかに投影されており、しかもそれに負けずにたえてきたことから、あたたかく、やさしいだけでない強いまなざしが生まれたのだと思います。...
また、竹崎や新地、上新地といった駅裏周辺から連なる地域では、関西小学校と桜山小学校、神田小学校の3校を一つにまとめ、さらに進学先だった文洋中学校は向洋中学校に吸収する計画と見られている。 豊北町の実情 保育園や学校みな集約 もっとも大きく変わろうとしているのが旧郡部地域で、なかでも豊北町と豊田町は旧町内の小・中学校すべてを1校にする小中一貫校の案が出されている。...
高杉が活動した時代は、徳川幕藩体制による封建制度の矛盾が激化の一途をたどり、百姓一揆は全国いたるところに燃え広がった時代であり、他方では欧米列強の侵略の波が重なりあうようにして日本に押し寄せ、これに幕府が屈従的な条約を結ぶという、歴史の転換期であった。...
そこで彼は、戦後アメリカの支配のもとで表面的な華やかさとは裏腹に暗い根をはりはじめている日本の現実を直視し、「こうした歴史的な社会のなかで、少なくとも現代詩を口にする場合、この社会情勢と無縁な詩を書く事は、どの良心もが許さない」と書き、「わたしはやはりなんらかの意味で役に立つ詩を、と願う。...
関西初の『雷電』公演となった今回のとりくみでは、戦後70年を迎えるなかで、「世の中が戦争に向かっているとき、頑張らなければ」「本物の維新革命を大阪に広げよう!学校現場では、市立高校の民間校長が学校の伝統や子どもの教育を無視した教育を進めていることに、父母や教師のなかで激しい怒りが語られていること、そのなかで「どんな子どもを育てるのか」との意識と響きあい、観劇の呼びかけが広がった。...
たとえば、明治維新への途上で幕府恭順の側に立って、人民諸隊によって一掃された長州藩内の「俗論派」が、「維新を阻止する“幕府や「俗論派」との妥協を主張して俗論派討伐への決起に反対して逃亡し、新撰組に長州藩の内情を話し、新撰組の手で送り返され、結局とらわれて処刑されるという運命をたどった元奇兵隊総管・赤根武人の名誉回復をとなえるのも、このような観点からである。...
わたしの店の近くに、かつてみすゞさんが店番をしていた上山文英堂跡地があり、そこから第一別館を過ぎた弁財天橋の欄干に、この詩がかかげてあります。 みすゞさんの詩を読むたび、あんなに素直な気持ちで表現できるなんてすばらしいと思います。 みすゞさんについては、亡くなった花井正さん(みすゞのいとこ)から聞いていました。...
ではこの魚を誰がどうやって獲っているのかを取材し、みんなに新聞で伝えたいと思った。そしてこのような漁師たちの厳しい労働によって人人の食卓に魚が並んでいるということを、子どもにどう伝え、教育に生かしていくかという問題意識を次次と出した。実際に現場の漁師の仕事への思いや誇りを聞いてみたい」と語り、自分の母親は祖父に誇りを持っていたと語った。...
B 昨年夏に公開された『日本のいちばん長い日』(監督・原田眞人)は、原爆投下を受けて天皇が「私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」といって戦争終結の「聖断」を下したことに対して、「徹底抗戦」を叫ぶ陸軍の青年将校たちが8月15日の玉音放送を阻止しようとクーデターを起こし、鎮圧されるまでを描いた。長崎の原爆がテーマだが、人人の実際生活のなかで戦争がどんなものだったのかを描こうとしている。...
長崎と維新との関わりについて、幕末当時、幕府の屈辱的な横浜開港によって長崎では外国人が幅をきかせ始め、「このままいけば長崎は植民地になる」と倒幕に向けて奔走する高杉たちを長崎の町衆が支え、みずからも「振遠隊」を組織し倒幕戦争に参加するなど、坂本龍馬や岩崎弥太郎キャンペーンの陰で封印されてきた町衆の功績が誇りを持って語られていることも紹介された。...
参加者は、新しい舞台が史実にもとづいたリアルで迫力のあるものになっていることに感動を語り、「山口県の誇りを子どもたちに、また全国に伝えてほしい」と強い期待を寄せた。 元治元年、遊撃軍の陣屋、高杉が来島又兵衛らの出兵を思いとどまらせようと説得する場面では、京都へ攻めのぼり朝廷に頼って討幕を幻想する空理空論派と、高杉の主張との違いが鮮明になる。...
広島市中区の青少年センターで11月29日、劇団はぐるま座による『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』が昼夜2回にわたって上演され、約750人の観客が詰めかける大盛況となっ...
「市長が教育長を任命する」「教育行政への政治介入」といっても、たいして違和感がないのが下関で、早くから教育長は市長がお気に入りの人物を据えてきたし市長を飛びこえて安倍代議士周辺が文科省からキャリア官僚を引っぱってきたりと、「教育委員による互選」などあってないようなものだった。...
震災重ね全国と絆 沖縄戦慰霊の日を前後して準備されてきた今回の公演は、米軍基地の拡張、強化や近隣国との緊張を煽る動きのなかで、沖縄戦をはじめ戦争体験をくぐってきた人人の現在の戦争政治に対する激しい警鐘とともに、沖縄や日本の現状について激しく語り合われ、戦争体験を語り継ぎ「死なないためのたたかいを命がけでやらなければならない」と力のこもったとりくみが展開されてきた。...
びいきにもかかわらず、鹿児島では坂本龍馬が持ち上げられる一方で、島津久光の公武合体路線を乗り越えて薩長同盟を成立させ、高杉晋作らと共に近代日本の夜明けを切りひらいた西郷隆盛ひきいる倒幕派の決定的な役割、とくにその原動力となった薩摩藩の農民や商人、郷士たちの誇り高い姿については、大きくアピールされることがほとんどなかった。...